2016.11.19
9回 さけぶ会レポート 

  11月19日の俳句塾は、句友の池浦さんご本人、上田さんのご主人のご逝去の報告や病気欠席の句友の話などつらい話が多かったが、それでも男性6名が叫ぶ会に出席。

いつもの「行人橋会館」にて17時から19時まで。

眸子先生は雰囲気を盛り上げるためということで、あえて芭蕉が最後に行き着いた境地「軽み」について、どう考えるかと問題提起された。

芭蕉が晩年辿り着いた境地が「軽み」である。芭蕉には、「仕官懸命の地を羨み」と言って、立身出世のコースを想定しながら一生懸命生きていた時期がある。またある時は人生に挫折して、出家してしまおうとも考えた時期があった。出世欲という自我からの拘りから解放されたいと願いながら生きてきたのである。

芭蕉は自我という「重くれ」に悩みながら、蕉風を確立するためにストイックな人生を歩み始めた。悩みを解決する一つの手段が命懸けの旅であった。その結果、晩年に至って「重くれ」から解放されたのである。それを「軽み」という言葉で弟子達に伝えたのである。作句にあたって大事な事は、芭蕉がもがきながら到達した自我からの解放、即ち「軽み」の習得ではあるまいか。

 とおっしゃったが、なかなか理解が進まない。そのようなこともあり、本日の句会に出された句の講評などに話題が移っていった。その話のキーワードは、次のようであった。

・句作における「新しみ」の追及の重要性は?

・「新」は「深」につながるか?

・個性や「らしさ」の位置づけは?

・俳句の多作=作って捨てる=重みを捨てる?

論議の過程で眸子先生から

「対象を写生しながら心の中にある自我や自我の変化を識ることが、深みや共感を生むことにつながっていくのではないか。同時にこの過程は各自の「人間性を磨く」ことになり、それが「俳句の基礎体力」となるのではないか」とのアドバイスもあった。

難しい課題にあれこれ悩み、お酒に酔っているうちにタイムアップ、散会となった。

 筆者の勉強のため「軽み」を調べてみると、「身近な題材の中に新しい発見をし、率直・平淡にさらりと表現する姿」とあった。筆者にとって俳句は、遠くて深くて長い道のりになりそうだ。(橋本喜代志記)

                    

 


















  レポートを久しぶりに「橋本さん」にお願いしましたところ、素早くまとめていただきました。 それを今回も、大変お忙しい先生に加筆いただくというありがたいレポートとなりました。皆さま、ぜひご参考にしてください。
                                    (HP管理者・加壽)