2016.10.15
第8回さけぶ会

三郷俳句塾終了後、例月通り「行人橋会館」にて午後5時より第8回「さけぶ会」を開催(参加数眸子先生を含む9名、男性7名女性2名)。

 ◎一つ目の話題

最初の話題は眸子先生から、先生の仲間(Aさん)から「最近、ひと様に見せるような俳句が出来ない。どうしたらよいか」との相談を受けた。皆さんだったらその人にどのようなアドヴァイスをしてあげるか、今日はそれを一緒に考えてみたいとの提案があった。これは「何のために俳句を作るか」に繋がる問題として重要な点である。

各自のコメントを次に紹介する。

・人を気にしないで自分の言いたいことを作句し、それが稚拙であっても良いではないか。

・人の評価を気にせずもっと自由で良いのでは

・自分の経験だが、2年ほど全くやる気が起きない時期があったが、徐々に叉俳句を始めようと気持ちになった。

・句集を作るための努力を続けたら

・三郷にいらっしゃい、「さけぶ会」に参加し叫んだら

・今の自分の実力を知ること

・出会いを大切に、仲間に育てられるから。自分の物差しで決めてはだめ、いろいろな物差しが有るのだから。

・レベルが上がればハードルも高くなる、そのハードルに挑戦するか挫折するか自分次第。自分で決めるしかない。

 眸子先生は、「俳句を作ったり、エッセイを書くのは誰のためでもない、自分のためである。自分をもう一度見つめ直すためなのではなかろうか」とおっしゃり、Aさんには、次のようなアドヴァイスをなさったそうだ。

*眸子先生のアドヴァイスの要旨

他人様に見せるために、俳句を作り、エッセイを書いているのではないと思います。自分というものはなかなか分かりにくいものです。自分を見つめ直すために、俳句やエッセイに取り組んでいるとお考えになられれば、また違ってくるのではないでしょうか。まずは、作句し、自分をさらけ出してみることです。

Aさんからは、もう一度チャレンジしたい、との返答が届いたそうだ。

 ◎1二つ目の話題                                  
□御沓さんからの質問   
  少年のエッセイを書く趣旨は、作句に対してエッセイをかくのか、全く別なものを書いても良いのか。

◇眸子先生の答え                                   

「少年」は、俳句とエッセイを愛する仲間たちの交流の広場です。
 兼題を設けているのは、同じテーマで切磋琢磨するための方法の一つです。また、7つの作品の中でお気に入りの一句について、四百字程度でエッセイ風の一文をお書き下さいとしているのは、初めてエッセイを書く場合、何をテーマとして書いたらよいのか迷う人が多いと聞いていますので、そのきっかけづくりのための方法の一つです。ご自分でテーマを見つけ、エッセイをお書きになれる方はそうすればよいと考えています。

 ◎三つ目の話題
     さけぶ会のテーマ「自信作なのに選ばれないのはなぜなのか」
   「霜降の街に梵鐘鳴り響く」(文雄)
                          
        この句は全部説明になっていて「ああそうですか」で終わってしまう。 

 「鳴り響く梵鐘霜の降り止まず」

とすれば広がる句になるのではとの先生のアドヴァイス。           

       「どっぷりと浸かりて余る虫時雨」(行人) 
    いろいろな意見が出され、最後に先生から、この句は虫時雨の説明に
    なって いて何様にも読めてしまう、と指摘がありました。
                

 【追記】  

この稚拙なレポートでは、臨場感は伝わらないでしょうが、この「さけぶ会」にぜひ参加してみてはいかがですか、私は「さけぶ会」4回目の参加ですが、毎回皆さんの熱い議論に圧倒され、俳句に係る思いの脆弱さを痛感させられます。

しかし「会」に参加し、眸子先生の有意義なお話を聞き徐々にですが、俳句を理解出来るように成ってきました。(報告者:村山)

                                               
 















































  レポートを「村山さん」にお願いしました。何事も自分が主役になってみてはじめて、大変さに気づかれるようです。
 参加者の了解を得て、ボイスレコーダーを初めて使ってみました。参加もレポートの担当も無理のない形で進められればと思います。
 今回も大変お忙しい先生に加筆いただくというありがたいレポートとなりました。ぜひご参考にしてください。
                                    (HP管理者・加壽)