2016.08.26
第5回さけぶ会

8月23日三郷俳句塾が終わって、いつもの通り行人橋会館で「さけぶ(叫ぶ)会」が開かれた。当日予定の花火大会(結局は雨天延期)のせいか参加者は7名にとどまった。乾杯の後、交々の歓談の中、主宰はホワイトボードにまず、「功徳」と書かれた。     

「俳句の功徳」という言葉がある。「お陰」との意味であり、その利点を3つあげる。

俳句は季語が必須であり、日頃から季感に敏感になくてはならない。多くの企業人は、朝早く出勤し、夜遅く帰って寝る。時折、居酒屋に立ち寄るといった生活。そうであれば、街路樹がいつ新芽を吹き、紅葉し、落葉となるのに気づかず過ごしてしまいがち。俳句に親しむことにより、移ろいゆく風情に敏感になり、豊かに生きることができるようになるに違いない。

俳句は生きた証を十七音字で綴った文芸。句作にあたっては、自分というものを深く見つめることによってより深い句になる。その結果、自分を再発見することにつながるに違いない。

サラリーマン社会に限らず、一般の社会では、肩書きがモノを言う場合が多い。俳句の友の場合は、お医者さんでも、教師でも、主婦でも、その肩書に無きに等しい。句作にあたっては、平等であり、肩書きなしの切磋琢磨こそが醍醐味なのである。そのような意味からみて、一人の人間として認め合う存在になるに違いない。

身近な方々の生き方は、まさに俳句の功徳を体現しているといえる。例えば、御沓さんは奥様を亡くされた後、ためらうことなく奥様とのあれこれの思いを詠み続けられている。冨岡さんは、いろいろな「縁」を大事に繋げることで仲間を呼び込み句友を多く持つに至った。佐竹白吟さんは脳腫瘍の手術を受けられたが、その前後のことを「脳腫瘍百吟」として詠まれた。俳句に親しみ、俳句の功徳を実感しながら、豊かな人生を送ってほしいものである。

中田昌子さんの父上は千代田葛彦さん。馬酔木の幹部同人で秋櫻子、波郷に兄事して俳人として大きな足跡を残した。同郷の者として、真剣に研究し顕彰していきたいと思っている。

続いて書かれたのが、「酔余」と「らしさ」。主宰がこの二つの言葉をどのような文脈で語られたか………。酔いが回りはじめた故であろう記憶が剥落し、なかなかつながってこない。「酔余」とは、自縄自縛に陥って、発想なり言葉の選択、展開を遮っている自意識を一端、酔余の一興とばかり軽妙に処して自縛から解き放ち、自在さをものにすべき………と受け取った。

「らしさ」とは、そうは言うものの混沌のまゝ直截に出すわけにはいかない。自分なりのろ過装置を通すことが肝要ではないか。そんな主宰の提示ではないかと推察したが、的外れの可能性が強い。これもまたよし。

酔余の記憶の剥落は日々に多くなる私だが酒の功徳を称えるのはやぶさかではない。                                        (記・能川治夫)























  できるだけ多くの方にレポートをお願いしたいと思って、今回は能川さんに依頼しました。折角、早くに書いていただいていたにも関わらず、連絡の行き違いで、大変遅くなりましたことお詫び申し上げます。今回は、大変お忙しい先生にも加筆いただくというありがたいレポートとなりました。ぜひ参考にしてください。
                                    (HP管理者・加壽)